医療ケアが必要な重症心身障害児の息子と父親

(最初に、ブログなのに長文形式でごめんなさい。)

目次

1.はじめに

2.子供の状態

3.親の生活と感情変化

4.今回の経験から僕が考えたこと

 

 

1.はじめに

はじめまして。僕の息子は生後8カ月の医療ケアが必要な重症心身障害児です。呼吸や嚥下等が出来ず、身体を動かすことが出来ません。産まれる前から障害があることが分かっており、様々な障害の症状は遺伝子変異が原因です。

僕は息子の障害が分かってから育児休業を取得して会社を休み、インターネット・本・介護士(ヘルパー含む)・社会福祉士・障害を持つ子供の親を通じて、障害に纏わる社会福祉や息子の遺伝子障害等を調べました。この記事では、僕が調べた限りの社会福祉の情報、経験したこと、感じたことを正直に書きました。僕自身が感じたことを忘れないために書いている面もありますが、同じ境遇の方の何らかの役に立てば幸いです。

 

 

2.子供の状態

生前2ケ月から生後8ヶ月の10ヶ月間について、息子の症状を記載します。この10ヶ月間、ずっと病院にいました。また、身長・体重・頭囲の変化は表1に整理しました。

➀生前2ケ月前

エコー検査で「足が短く、頭が大きい」と指摘を受けたのが最初です。その後、MRI検査をして、小脳虫部低形成という脳の障害、心臓左軸偏位という心臓の障害があることが確定しました。

②生前1ヶ月前

羊水過多の指摘を受けて、嚥下(飲み込み)が出来ないことが判明しました。また羊水検査で染色体異常がないことが分かりました。この段階では、ダンディウォーカー症候群かジュベール症候群を疑っていました。

③生後0か月

2018年1月に妊娠37週で息子が生まれました。生後間もなく、呼吸補助器をつけられて、詳細な検査を受けました。結果、様々なことが分かりましたが、原因となる疾患の特定はできませんでした。この時はまだ呼吸器は呼吸補助器で、手足を動かすことや少しだけ泣くことも出来ていました。

<検査結果>

・脳障害:小脳低形成、小脳虫部低形成、脳梁低形成、脳回一部低形成

・心臓障害:心臓左軸偏位、血管輪、肥大性心筋症

・身体障害:低身長、低体重、相対的頭囲大、胸骨変形、難聴、弱視、斜視

・その他障害:嚥下障害、難治性不随意運動(けいれんに類似)

④生後1ヶ月

この時に目が明くようになりました。ただ、黒目が正面を向くことはなく白目がちでした。その他、生後0ヶ月と症状は大きな変化はありませんでした。原因疾患が分からなかったので、遺伝子検査をすることになりました(症状からは、ヌーナン症候群、CFC症候群、コステロ症候群の何れかだと言われています。まだ結果は出ていません。)。

⑤生後2ヶ月

この時から息子の状態が少しずつ悪化していきました。喉頭気管軟化症が判明し、呼吸補助器から人工呼吸器に変わり、泣き声を聴くことが出来なくなりました。また、身体が徐々に動かなくなってきました。

⑥生後3ヶ月

この時にリンパ管形成不全による乳び胸水が確認され、呼吸状態がより悪化しました。それにより、気管切開の手術を医師から勧められました。また、身体が動かなくなり、顔以外は動かなくなりました。

⑦生後4ヶ月

この時に気管切開の手術をしました。しかし、人口呼吸器を外すことはできず、口から人工呼吸器だったのが、首(気管切開部分)から人工呼吸器になっただけでした。また、髪の毛と眉毛が徐々に抜け始めました。

⑧生後5ヶ月

この時に心臓周辺の血管整形手術を受けました(血管輪の解除)。髪の毛と眉毛が完全に抜けました。しかし、徐々に目は黒目を向けてくれるようになりました。

⑨生後6ヶ月

この時にリンパ管形成不全により、乳び胸水だけでなく、身体全体が浮腫むようになりました。しかしながら、リンパ管に対する標準治療では治らないことが判明し、病院ではできる治療がなくなりました。

⑩生後7ヶ月

この時からリンパ管形成不全による症状が悪化し、今までの症状に加えて、腹水の発生も確認できました。ただ、黒目をよく動かし、きょろきょろしてくれるようになりました(でも目は見えてはいないです)。

⑪生後8ヵ月

この時に不整脈と腎不全が判明しました。また医師から余命が短いと告知を受けました。ここまでの状態を纏めると、以下の通りです。

 

・主な医療ケア:呼吸は気管切開した上での人工呼吸器が必要で、定期的な痰の吸引が必要。嚥下もできないので経管栄養が必要。ミルクだけは栄養が足りず、中心静脈栄養が必要。リンパ液への処置で、皮下と胸から液体を抜くためにカテーテルが必要。その他、多数の薬の服用が必要。

 

・介護ケア:排便が出来ない為、浣腸が必要。各清潔ケアが必要。

 

・知能:目と耳が機能していないので認知能力はない。

 

・身体:体は動かず、目と口と鼻だけ動かすことが可能。

 

・精神:何か嫌なことがあると泣きそうな顔をするが、それ以外の感情はなし。

 

・見た目:身長・体重の増加はなく、毛が全て抜けている。身長に対して頭が大きい。(ただ、生後6ヶ月頃からすごく可愛くなりました。目が大きく顔が整っています。イケメンです。)

 

<表1.身長・体重・頭囲の変化>

  0ヶ月 1ヶ月 2ケ月 3ヶ月 4ヶ月 5ヶ月 6ヶ月 7ヶ月 8ヶ月
平均身長 49 53.5 57.9 61.4 64.2 66.2 67.8 69.2 70.5
身長 40 43.5 47 48 48 49 48 49 49.5
平均体重 3 4.3 5.5 6.4 7.1 7.7 8 8.2 8.6
体重 1.9 2.1 2.6 2.7 2.5 2.4 2.7 3 2.8
平均頭囲 33.5 37.7 39.8 41.4 42.3 43.1 43.9 44.5 45.2
頭囲 33.5 33.5 35.5 36.5 36.5 36.7 37.3 37.3 37.5

※単位:身長(cm),体重(kg),頭囲(cm)

 

 

3.親の生活と感情変化

➀生活

僕は普通の会社員で、妻は看護師でした。息子が産まれてから4ヶ月間は、僕は仕事をしていましたが、5ヶ月頃から育児休業を取得しました。息子は入院しているので、時間的余裕はありましたが、精神的に辛くなり、休むことを決めました。

基本的な生活は、日中は妻が病院に行き、夕方から夜は僕が病院に行きました。家事全般は僕がやったので、料理がすごく上手になりました。また、息子は医療ケアや介護が多く必要でしたので、痰の吸引、浣腸、清潔ケア、身体的リハビリ等の技術も習得することができました。また、仕事と病院以外で日常生活の大きな変化は、2つありました。

1つ目は、人付き合いを止めたことでした。やはり息子のことを聞かれたくない気持ちがあり、友人とは疎遠になりました。しかしながら、中学校からの友人、職場の同僚、会社の同期の3人は、僕のことを気遣って食事等に誘ってくれました。この3人は大切にしたいと強く思いました。

2つ目は、食生活と運動習慣を見直したことでした。僕は何事も原因が存在すると考えるタイプで、息子の障害があったことも自分たち夫婦にも問題があったのではないかと考えました。医療関係者や周囲からは「誰も悪くない」といった励ましのような言葉を多くもらいました。しかしそれを言われても何にも解決しないし、国の政策(障害福祉)は「親は面倒をみる責任があるので、最低限のサポートしかしない。」と読み取れる方針でした。僕は息子の障害は食生活と運動習慣が原因の一因であると判断しました。食生活は、農林水産省の栄養バランスガイドを参考に見直し、外食もやめました。運動習慣は、日常生活を電車・バス・車移動から自転車・徒歩移動に見直し、筋トレや水泳等の意図的な運動を週3回程度実施しました。

 

②感情

僕の感情は、波のようなものでポジティブな感情とネガティブな感情が定期的に入れ替わるものでした。しかし、全体的には月日が流れると共に、徐々にポジティブな感情が強くなってきたと感じました。

 

・子供に対する感情

僕は障害者の中で知的障害者について、どちらかというと差別意識をもっていました。その意識が形成された経緯は思い出そうにも特別な事柄はなかったと思います。僕は本当に普通に育ちました。両親も健在で兄弟も2人います。親も常識人で、兄弟は2人共、学校の先生です。自分自身も4年生大学に入り、民間企業に就職しました。結婚式には小学校から会社までの全てのセクションの友人を呼べるほどいました。宗教にも入っていません。強いて言えば、社会意識が僕の中に反映されたと考えています。

最初、産まれる前に自分の息子に重度知的障害があると分かった時には、息子に死んでほしいと強く願いました。自立もできないし、社会貢献もできないので、生きる価値がないと本当に考えていました。

子供が生まれた後、現状は死に至る病気を持っていないこと、医療ケアが必要であることが分かりました。この医療ケアが本当に大変なもので、24時間365日2~3時間おきに痰の吸引が必要で、息子が生きている限り一生3時間以上の睡眠を確保できないことがわかりました。また、これだけではなく経管栄養の対応や身体的な全介護が必要でした。

現状、国の方針で在宅医療・介護が主流なので、これらの対応は家で親がする必要がありました。また、高齢者と違って介護福祉が充実しておらず、医療ケアがあるため業者に介護を頼むことがほとんど出来ませんでした。また入所施設は日本全国満床で、数年~数十年待ちとなっていました。

息子が死ぬこともないし、社会も助けてくれないとわかった時は、このままずっと不幸なら自分が死のうと考えました。すみません、正しくは自殺に興味を持ちました。実際に死ぬつもりはなかったです。ただ、この興味の先には実際の死が待っているのだと感じました。このときは本当に精神的に参っていました。息子の生後3,4ヶ月くらいの時です。医者に行けば、確実に何かの精神疾患と診断されたと思います。このタイミングで仕事を休むことにしました。それにより余裕が出来て精神が安定し、自殺してもしょうがないと考えるようになりました。

次に、普通のやり方では社会からサポートを受けられないのであれば、徹底的に自分が社会的弱者になれば、優先的に施設等に入所出来るのではないかと考えました。そして、まず児童相談所に施設入所の方法と選考方法をヒアリングしました。

基本的に国家機関・民間共に施設は、児童相談所経由ではないと入所出来ません。ただし、特定の権力者やコネがある人等は別のルートで入所できると、児童相談所の職員から聞きました(これは真偽の程は定かではありません)。また、入所の優先順位は国家機関であれば児童相談所が判断します。その優先順位は単純に早い者勝ちではなく、サポート度合い等も勘案されるとのことです。民間の場合は、民間施設が空きがあることを児童相談所に連携し、児童相談所が候補を出したうえで、協議をして決めるようでした。また、各都道府県毎の受け入れ人数制限があります。民間施設の職員に、空きがでた場合に優先的に自分の息子を推薦してもらえないかと交渉したことがありますが、NGでした。ただ、見学等に行ったり交流があれば、児童相談所の候補の中にいた場合に、目に付く可能性が高くなると回答をもらいました。

つまり、社会的サポートの必要度が高く、各民間施設と定期的にコミュニケーションをとれば、入所できる可能性が高くなることがわかりました。僕は社会的弱者になるために、息子の親権を父親が持ち離婚し、祖父母のサポートがないことを主張すれば、施設入所できると考えました。僕が息子を育てるには仕事を辞めるしかありません。社会はそこまで僕のことを追い込まないと信じたかったのです。しかし、妻から離婚の猛反対を受けて断念しました。

生後5,6ヶ月くらいから息子の見た目が急激に変わりました。髪の毛等がなくなり、黒目を向けてくれるようになりました。普通、髪の毛がなくなるとマイナスだと思いますが、息子の場合はスキンヘッドの方が圧倒的に可愛かったのです。それにより、息子のことが可愛くなり、身体も動かせないし声も出ないけど、こんなに可愛いならすごく世話が必要だけど、一緒に暮らしたいと考えるようになりました。

こうして僕の子供に対する感情は、基本的にここに留まっています。しかし、息子に死んでほしいと思う気持ちや自分が死にたいという気持ちは消えているわけではなく、定期的に波のように襲ってきます。その時は、この考えも自分なのだと受け入れるようにしています。

 

・世間に対する感情

今まで世間に対して疎外感を感じたことはありませんでした。でも、今回のことで明確に世間と自分がいる世界は違うと意識するようになりました。社会から排除されて、生きているけど無視されている存在というイメージです。なので、街に人がいっぱいいても自分とは違う楽しそうな人達と感じ、日常で強制的に触れ合う美容師やサービス業の店員等ともコミュニケーションはとらなかったです。ただ、この意識をもつことで、政治家の必要性や今まで理解不能だったテロ事件について、理解できるようになりました。

今まで政治に興味はありませんでした。現状に満足していたし、誰が当選しても自分の生きている世界は変わらないと考えていました。しかし、障害を持つ子供を育てる為には社会福祉が必要で、このルールは政治が決めています。現状よりも社会からのサポートをより多く受けるには今のルールを変えるしかなく、基本的にその方法は障害に関する社会福祉のルールを良い方向へ変えてくれる政治家に投票するしかないのです。しかし、ここで問題に気づきました。日本の政治は多数決なのです。国会議員の選定も法律の立案の可決も全て多数決です。つまり、障害をもつ子供の親は圧倒的に少ないので、政治家もそもそも障害関連の社会福祉の政策を考えても投票されないため、変えようとしてくれる人が少ないです(いても、勝てない)。なので、普通のやり方では僕たちの待遇を改善することは難しいと分かりました。

世界ではテロ事件が多く発生しています。今まではなぜ?と思っていました。僕たち日本人のほとんどは、特定の国で恵まれない生活をしている人のことを知っていても特に気にしていません。でも、特定の国の一部の人は、自分達がそこに生まれただけで、日本等の裕福な国で生まれた人と生活レベルに圧倒的な差を付けられており、それが平等ではないと感じていると思います。しかし、普通のやり方ではそれを改善することが出来ないので、テロ(武力行使)という形をとっているのだと理解できました(それでも無関係な人を傷つけるやり方はどうかと思いますが)。

ここまで考えたところで、これは相対的幸福度の考え方だと気づきました。僕の家庭は相対的に見れば不幸です。でも、その考え方を絶対的幸福度に置き換えることが出来れば、自分は幸せになれるのではないかと思うようになりました。これは息子の障害が分かる前に自分が漠然と思っていた「幸せになる方法」の答えのような気がしました。しかしながら、完全に他者と比較しないということは容易ではないです。このことに気づきながらもなかなか今の状況で幸せを感じることが出来ません。修行が必要です。

 

4.今回の経験から僕が考えたこと

・ライフプランの検討

僕の息子のような重症心身障害児の場合、東京都に在住で親の収入が少なければ、合計約15万円/月の補助金を受け取ることが出来ます。多摩市等の郊外であれば家賃が安いので、家族3人で生活できると思いました(小笠原村もいいと思います)。また、僕には幸い貯金が多くありましたので、想定外の支出はこれでカバーできると思いました。

メリットは、時間を多く確保できるということです。なんせ仕事をしないですから。今の時代、お金がなくても娯楽は無数にあります。本は図書館、映像コンテンツはインターネットや低価格の映像配信サービス、ゲームは中古市場での売買でほぼお金をかけずに購入できます。運動も登山、水泳、自転車等、低価格で実現できます。

デメリットは、子供がいなくなったら生活に困ることくらいです。でもそれは、そのときに仕事を始めれば良いと思っていたので、そこまで問題とは思いませんでした。経済的に2人目の子供が難しいのでは?という疑問があると思いますが、多くを求めなければお金なんて何とかなります。親子4人で約16.5万円(子供手当追加分1.5万円)/月、非課税です。しかも、これからは子供の教育費無償化等、税金投入が多いので、子供の金銭的な未来は明るいです。

僕は今の生活に苦しくなったら上記のプランに切り替えることを真剣に考えています。主に自分の息子の世話をして生きていくなんて、すごく幸せなことだから同じ境遇の方にもおススメしたいです。

 

・延命治療の考え方

僕達夫婦は、息子に重度の障害があるのであれば、積極的な延命治療はしないという方針でした。これを命の差別と非難することは簡単です。しかし、非難する人達を含めてほとんどの世間の人達は、障害者を差別するし、助けてくれないと考えていました。ですので、僕は息子が産まれてからどこまでが延命治療となるのか、探っていました。

①産まれてすぐのとき

産まれてすぐに呼吸器の使用承諾書と輸血の使用承諾書のサインを求められました。このタイミングで、「同意しないことは出来ますか?」と医師に聞きました。回答は、「緊急を要するので、同意がなくても処置する可能性があります。」でした。結果、サインしました。ただ、このタイミングで医師はこの父親はヤバい奴だと思ったことでしょう。その後も、手術以外のタイミングで親の医療介入は認められず、基本的に新生児はどんな状態でも治療をしていくと分かりました。

②気管切開のとき

僕は高齢者の世界で延命治療とされている処置は全て小児の世界でも延命治療と考えていました。しかし、小児の世界では、気管切開は延命治療ではないと位置付けられています。小児の場合は、今後成長する可能性が高いので、この考え方は理解できます。ただ、僕は息子が大きく成長すると考えていなかったので、息子が苦しむだけと思い、「気管切開はやりません。」と言いました。医師の回答は「困ります。いつかはやってもらわないと。」でした。これは親が同意しなくても児童相談所経由で、一度親権を停止してでも手術をするということだと理解しました。結果、サインしました。

気管切開は、本当によく考えた方が良い手術です。幼少期の一時的な呼吸サポートのためなら良いですが、一生気管切開になるのであれば、親はメンテナンスに人生を捧げる必要があります。痰の吸引作業は数時間おきに必要ですし、毎日のカニューレバンドの交換等が必要です。しかも、この痰はカニューレという人工物を気管に挿入することに伴う分泌液も含まれています。「子供の延命」と引き替えに「親の莫大な時間を奪う」手術です。なので、親は残りの人生の仕事、飲み会、旅行等の今までの日常を捨てる覚悟がいります。僕の場合は、子供の状態が良くなる可能性がある、としか病院の説明はなかったです。メンテナンスの話は、手術の後に聞きました。まぁ大体は分かっていましたが、「痰」が「異物に伴う分泌液」とは理解してなかったです。呼称って大事ですね、痰と言えば人間の本来もつ分泌液みたいに思ってしまいます。ただ、気管切開により顔が良く見えるようになったことは、とても嬉しいことでした。息子がすごく可愛い顔をしていたことを、気管切開後に初めて知ることができましたので。

結局のところ万能な手術ではないので、何に優先度を置くかで気管切開の必要性は変わってきます。しかしながら、気管切開のデメリットの部分は十分に知ってほしいと強く思います。

 

出生前診断の必要性

「命の選別はしたくない、どんな子供でも産む。」と考えている方は一定数いらっしゃると思います。この考え方は素晴らしいもので、尊敬に値します。しかしながら、想定外の子供が生まれた場合の生活がどんなもので、その子供と親の人生がどうなるのかを理解した上で、決断して欲しいと切に願います。

また、「出生前診断=命の選別」ではないです。自分の選択肢を多く持つということです。一定年齢(明言しませんが)の妊婦の方は、染色体異常の検査をお勧めします。私は都内屈指の大病院で、8ヶ月間NICU・GCUに毎日通い、様々な子供と親を見てきました。母親の年齢と共に染色体異常のリスクが格段に上がることは、統計を取らなくても分るほど明白な事実でした。

結果的に「どんな子供でも産む」にしても、障害を持った子供との生活を知り、出生前診断で事前に覚悟を持ち、その上で判断して「どんな子供でも産んで」欲しいです。

 

鬱病にならないように

今回の経験は僕の人選の中で最も辛いことでした。そして人生の中でも、僕自身が想定外の病気になることや事故にあうこと等の自身の不幸以外で、最も不幸なことだと感じました。しかしながら、僕は一般的な鬱の症状に当てはまる状態が継続することはありませんでした(一時的には鬱病みたいなものでしたが)。

鬱病は、ストレス等から来る生活習慣の乱れやホルモンの影響等を起因として、脳内で特定の分泌物が発生し、その結果で様々な症状が出る病気と僕は理解しています。つまり僕はストレスによって生活習慣が乱れる(睡眠不足等)までには至らなかったということになります(まだ30代なのでホルモンの影響はないかと思っています)。

これは仕事で身に着けた2つの考え方「何事も原因は自分にあると考えること」と「どうすれば現状を改善できるか考えること」を持っていたことが大きく影響しています。なぜなら息子が障害を持つことがわかっても、やるべきことがある程度見えてくるからです。悩んでいるよりも行動している時間が多くなることで、規則正しい生活習慣が守られたのだと思います。

鬱病は「心が弱い人がなるもの」と思われていた過去があります。今はこれが否定されています。そうですね、既に鬱病になっている人には、心の弱さを指摘しても意味がないです。でも、予防をするという意味では、心を鍛えることは大事です。様々な経験をして、色々な考え方を身につけることで、鬱病への予防となると僕は考えています。

 

・子供との触れ合い

僕は育児休業を取得したので、平均して毎日4時間くらい息子と一緒にいました。そこで驚いたのが、僕や妻と息子にしかわからないコミュニケーションが確かに存在していたということでした。100%ではなく10%くらいの可能性ですが、息子の嫌なことや気にしていることが分かるようになりました(息子は脳波はあるものの、障害のレベルは最重度です。が、それでもコミュニケーションが出来たことに驚きました。)。

今まで自分とは絶対に分かり合えない人は存在すると考えていましたが、自分の努力が足りなかったんですね、どんな人でも相手を知ることで一定のコミュニケーションは取れると、今はそう思います。

 

・人生とは

人生の意味を考えたときに、主に2つの考え方があると僕は考えていました。1つ目は、死んだら終わりで生きているときに出来るだけ楽しむという考え方。2つ目は、入信している宗教に従い死後の世界をとらえつつ、生きている時間を過ごすという考え方。

前者は自分が健康で死を強く意識していない場合は良いと思いますが、人生の終末期には何の救いもなくなります。日本人は、1つ目の考え方を持っている方が多いため、自分が死に直面するタイミングで、あんなにもうろたえるのだと思います。後者は心の底から信じていれば、自分の死をすんなりと受け入れることが出来ると思います。僕は元々1つ目の考え方でしたが、今回の経験から別の考え方が生まれました。

人の存在意義を考えた時に僕の中では、論理的に考えて人類の繁栄への貢献が最もしっくりきました。これをもう少し身近な言葉に変えると、他者に貢献するということです。他者に貢献することで、自分の人生が終わるタイミングでも、人類全体という大きな軸は残っており、そこに対して自分の子孫を残したり、仕事で成果を残したり、自分のスキルを継承した部下や教え子がいたりすることで、自分の存在意義は死後も繋がっていくと感じました。こう考えることで、3つ良い面があると思いました。

➀自分の死を受け止めることが出来る

(=自分が死んでも残したものがあるので、自分の存在意義は失われないため。)

②死ぬ直前まで充実した人生を送ることが出来る

(=健康な知能・身体があれば、自分で幸福感を得ることが出来るが、年齢を重ねると知能・身体が衰え、同じ幸福感を得るのは難しい。他者貢献により、自分で出来ないことを代わりに実現してもらうことで、自分が衰えても幸福感を得ることが出来るため。)

③僕の息子でも存在意義があると考えられる

(=息子は自分の病気のデータを病院に提供することにより、未来の同じ病気を持つ子供の治療に貢献出来ているため。)

なので、僕は人生とは「人類の繁栄に貢献すること」と考えるようになりました。

 

最後に、この記事を書いている途中で息子は0歳8ヵ月16日で亡くなりました。記事の書きぶりを変えようかと思いましたが、ほぼ書き切っていたので、そのまま掲載します。あまり良いことは書いていませんが、この記事が少しでも人の役に立てば嬉しく思います。